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<act 2>


 たぶん誰よりも早く気付いたのではないだろうか。 いつもあの人だけを見ていた。幼い頃からずっと。
だから変化に最も敏感に反応したのだろう。
 今までの兄とは何かが違った。どこが変わったのかと聞かれれば言葉には出来なかったが、 確かに何かが、それも根底を揺さぶるような何かが変化していた。
感性的に感じたものを言葉にするのは難しい。 言葉に変換した時点でそれは元にあったものとは確実にどこかが違っているからだ。
 それでもあえて兄の変化を言葉にすれば
________________________ 自分に近くなった
 兄弟でありながらあれほど異なる性質を持っていた兄が、自分と同じものを持ち始めたのだ。
変化した性質は、自分のそれよりずっと深いものだった。
初めて兄を怖いと思った。




「お兄ちゃん」
 自室で本を読んでいる兄に声をかける。
ヤマトは物憂げな仕草で顔を上げたが、視界にタケルを捕らえると目を細めて笑って見せた。 それは他の誰にも見せない、自分にだけ見せる種類の微笑だった。
「何読んでるの?」
「・・・・・・・何でもないよ」
 やんわりとした拒絶。
手にした本を机の上に戻してタケルを見つめる。
「どうした、何かあったのか?」
________________________ それはお兄ちゃんの方じゃないの?
喉まで出かかった台詞を飲み込む。
自分を心配する言葉。だがそれが本心からではないことは分かっていた。ただ表情だけは完璧に
「弟を心配する兄」を作っている。 この人はこんなに風に自分を作れる人だったのだろうか?
違和感を胸にタケルはそれでも表面上は何の愁いも見せずにヤマトに話かけた。
「今日、お父さん帰ってこないんだ」
「ああ、出張らしいからな。明後日に帰るとか言ってたけど」
「‥‥‥‥そう」
 空気が静まる。タケルの思惑に気付かないわけでもないのに、ヤマトの表情は全く変わらなかった。 まるで自分になど興味を持っていないと言われているようだった。
「僕‥‥‥今日泊まってもいい?」
「構わないさ」
 母が心配しているから、明日は学校があるから、普段はそんな風に生活の細々としたことを心配するのに今日はまったくそんな様子を見せない。
こんなのは兄らしくない。
________________________ 喧嘩でもしたのかな
脳裏に彼の姿が思い浮かんだ。ヤマトに何かあったとしたら原因は彼しか考えられない。
「太一さんと何かあったの?」
「‥‥‥‥誰だそれは?」
余計なことだ、と返されるかなと考えていたタケルはヤマトが発した台詞に愕然とした。
________________________ 何だって?
今、この人は何といったのだろう?



________________________ 冗談だよ」
直後に浮かべた微笑は今までタケルが見たどの表情よりも綺麗で禍々しかった。




「目障りな奴がいるんだ」
天を仰いだまま彼がそう呟いた。 もちろん独り言などではない。
________________________ 自分に聞かせるため
それが証拠に次の台詞は聞こえてこない。
「誰?」
兄の望んだ通りの答えを返す。
だが、彼はその質問には答えず、ゆっくりと自分の方を振り返った。元から白い兄の肌が月明かりで一際白く見えた。
「僕はどうすればいいの?」
「壊してくれ」
 今度の質問にはすぐに答えが返ってきた。
言葉の持つ意味とは裏腹に、兄の表情は優しく穏やかだった。
「・・・・・・・・・誰を?」
 もう一度、同じ質問を繰り返す。
________________________
兄はささやくようにその名前を呼んだ。
________________________ とくん
 心臓が高鳴る。自分の周りの空気が温度を下げた。 内側から今までに味わったことのない程激しい気持ちが溢れてくる。その感情を表すなら「歓喜」
「・・・・・・・・いいの?」
 込み上げる喜びを隠しきれずに尋ねる。穏やかな表情を変えず兄はゆっくりと頷いた。
視線が絡みあい、同じ資質を持つ魂が共鳴する。
________________________ 同じ資質
同じ髪の色、同じ目の色
同じ精神
________________________ ああ、でも
自分に比べて兄は何て綺麗なのだろう。
変わってしまったというのに、自分と同じく闇に囚われてしまったというのに。
自分の内面はこんなにも醜いというのに同じ闇を包括している兄の何と綺麗なことか。
以前と変わらない秀麗さに息を呑む。
 そんな羨望の視線に気付いたのか、兄がそっと自分の頬に手をあてた。そのままゆっくりと壊れ物でも扱うかのように撫でる。
うっとりとその感触に身を任せる。かつてない幸福感が全身を支配した。
「お兄ちゃんはあの人のことが好きなんだと思ってた‥‥‥‥」
夢見心地のまま聞く。
________________________ オレが?」
心外だ、といわんばかりの声で兄が答えた。
「オレが好きなのは‥‥‥‥」
沈黙
しばらく考えた後で兄は自分が何よりも望んでいた台詞を口に乗せた。
「お前だけだ」
 先程から微塵も変わらない表情からは何も読み取れない。 兄が本当のことを言っているのかどうかは分からなかった が、それでも自分にとっては十分だった。
________________________ この人のためなら何だってできる
想いは盲目的な確信を持っていた。



 一度諦めたものが、目の前にあった。
誰よりも、何よりも欲しいと思ったものが手に届くところに戻ってきた。
組み敷いた肢体はぞっとするほど妖艶で自分を夢中にさせた。
「・・・・・・ははっ・・・・」
狂ったような笑い声が夜に響く。
もう誰にも渡さない。





僕のものだ。





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