<act 3>
自分がどこにいるのか分からなかった。
周りは毒々しい気配の闇で満たされており、一歩進むごとに全身が総毛立つ様な異様さを感じた。
「何なんだよっ、くそ!」
悪態を付きながら、それでも前へ進むことを止めることはない。
悪意に満ちた気配は身体的な疲労ばかりでなく心までも疲弊していくようだった。
こんな所にいつまでも留まっていたくない、一刻も早く抜け出したいという気持ちは時を追うごとに強まっていった。
________________________ ざくっ
後ろで草を踏みしめる音がして反射的に振り返る。
視線の端に捕らえたのは、見慣れた金髪だった。闇の中でその色だけは独立した色彩を放っており、見知った少年を思い浮かべる。
一瞬彼かと思い名を呼ぼうとしたが、すぐにそれが誰かを認識して慌ててその名前を飲み込んだ。
「どうしてお前がここにいるんだ?」
彼と同じ血を保有している少年は兄の面影を色濃く容姿に浮かび上がらせたまま口を開いた。
「それは僕が聞きたいな。どうしてここにいるの?」
「どうしてって言われても‥‥‥」
そんなの自分にだってわからないのに答えられるわけがない。
沈黙したままの自分を見て、少年はすっと目を細めた。
「‥‥‥‥お兄ちゃんを捜してるの?」
「あいつもここにいるのか?!」
予想外の事実に思わず怒鳴るように聞き返した。少年はうん、と小さな声で頷き、自分が歩き出そうとしていた先を指差した。
________________________ とりあえず彼のところに行かなくては
自分が知っている誰よりも純粋で脆い彼がいつまでもこの闇の中で平気なはずがない。
あの優しい心が恐怖に彩られる様は見たくなかった。
「連れて行ってくれ!」
鋭い声で少年を促すと、彼は無言で自分の近くに来た。
「‥‥‥‥必要ない」
思わず背筋が寒くなるほどの敵意に満ちた声音が聞こえる。
一瞬その気配に気圧されたが、すぐに言葉の意味を問おうとして彼と視線を合わせた。
________________________ ズルリ
四肢を何かに撫でるようにして絡めとられた。嫌悪感に思わず呻き声を上げる。
慌てて自分の身体に目をやると、まるで意思を持った生物であるかのように深い霧状の闇がまとわりついていた。
「少し眠っててよ」
少年が楽しそうに言う。
どういう事だ、と口に出したつもりだったが、彼が何も反応しなかったところを見ると言葉になっていなかったのかもしれなかった。
意識が混濁し、やがて夜の気配と共に消えていった。
もう2日もヤマトが学校を休んでいた。
学校の方にも休みの連絡がいっておらず、様子を見るために太一は彼のマンションまで足を運んだ。
「石田」と書かれた表札を見て懐かしい思いにかられる。
以前にも風邪で休んだ時に見舞いに来たことがある。その時は「やっかいごとが増える」「うつる前に帰れ!」
と散々怒鳴り散らされて追いかえされた。それでも、渋々帰ろうとした背中に小さな声で「ありがとう」と言われ、
不器用で優しいヤマトの心遣いが嬉しくてその日一日は有頂天だった。
そんなとりとめもないことを思い出していると、ふと閉ざされたドアの中から音がした。
何か物が倒れるような鈍い音。
「‥‥‥‥?」
不思議に思いドアに手をかけると抵抗も無くノブが回った。
家の戸締りは慎重すぎる程に気を使う彼にしては珍しいなと思いながら無造作に扉を開けた。
初めは何が起きているのかわからなかった。
廊下の奥にいる人影がヤマトとタケルだということはわかったが、彼らが何をしているのかが理解できなかった。
2人の近くにある観葉植物が倒れて土が散らばっているのが見え、さっきの音はこれだったのか、と場違いな思いが脳裏をよぎる。
ヤマトが小さく声を上げた。
ビクリとして視線を戻すとやっと視覚情報が思考と結びつき、乱れたままの服装で壁に寄りかかって身体を預けているヤマトと、
その身体を抱くように支えているタケルの姿を認識した。ヤマトは固く瞳を閉ざして込み上げてくるだろう感覚に身を任せている。
一方タケルはそんな兄の胸元に恍惚とした表情のまま唇を寄せていた。
初めに太一の存在に気が付いたのはタケルだった。
目の端で自分を捕らえた後、勝ち誇ったように笑う。
「太一さん、邪魔しないでよ」
それはヤマトに太一の存在を気付かせるために発せられた言葉だった。
自分の名前を聞くとヤマトはゆっくりと瞳を開き、視線だけをこちらに向けた。蒼く、深い色の瞳がぼんやりと太一を見つめた。
「せっかくイイところなのにね、お兄ちゃん‥‥‥‥‥」
そう言うとタケルはヤマトの顎を掴み強引に唇を重ねた。
角度を変えて繰り返される口付けに、弟の腕の中でぐったりとしていたヤマトは次第に答えるように舌を絡めていった。
太一と合わせた視線が外される。
今まで人形の様に力の無かったヤマトの腕が、タケルの背に回された。
それは、この行為が同意のもとで行われているという証だった。
「ヤ‥‥マト‥‥‥」
彼の名を呼ぶ声が震えるのを止めることができなかった。
意識が戻ってからどのくらいの時間が過ぎたのだろう。
さっきから変わらず自分を捕らえたままでいる闇のせいで指一本動かすことができない。
自由のない身体で出来ることといえば、目の前で繰り広げられている行為をただ見ていることだけだった。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
耳元で囁くように問われ、組み敷かれた身体で荒い息をしていた彼はこくりと頷いた。
それを見て安心したのか不安そうな表情だった弟は極上の笑みを浮かべて再び兄の身体から快楽を引き出す行為を続けた。
________________________ 夜に嬌声が響く。
震えながら弟を掻き抱く腕や、紅潮した頬は明らかに無理矢理引き出されたものではない。
声を殺すこともせずに背徳的な行為を続ける兄弟は妖しいほど絵になっており、
この世にあるどんな芸術品よりも完成された美しさを持っていた。
________________________ どうしてっ‥‥‥
これ以上正視することが出来ずに瞳を閉じる。
だが映像は遮断できても声までは消すことができない。
断続的に喘ぐ彼の声が聞こえる度に、心の深い部分に暗い殺意が湧き上がってきた。
「‥‥‥‥んっ」
最後に消え入りそうな声を漏らし、彼は意識を手放した。
弛緩した兄の身体からゆっくりと身体を離した弟は、
この場にいるのが自分達だけではないことに
やっと気がついたように振り返った。
視線が合うと棘のある笑いを見せる。
「ごめんね」
謝るような台詞を紡ぎながら、反省の色は微塵もない。その瞳は自分を痛めつけることに最大の喜びを見いだしているように思えた。
「でも、この人は僕のものだから」
意識の無い兄にゆっくりと唇を重ねる。
疲労の色を浮かべる彼の顔に同一色の髪が一房ふりかかった。
「身体だけじゃないよ‥‥‥‥心も」
________________________ ギリッ
魂が明確な殺意を覚えて軋みを上げた。
「全部、僕だけのものになったんだ」
________________________ 言葉が出ない
悲しみと屈辱で身体が震えた。目の眩むような激情にまかせて殴りつけたかったが、
身体を支配している闇は自分の思いなどまったく眼中に無く自由を奪ったままだった。
今の自分は果てしなく無力であることを自覚させられた。
「殺してやる」
やっとの思いでそれだけを言葉に出した。
その殺意が誰に対するものなのかは自分でもわからなかった。